「家族」が住まいづくりの主役~蒲生工務店 長谷部専務インタビュー~
滋賀県東近江市の株式会社蒲生工務店の長谷部専務にインタビューいたしました。
御社の沿革を教えて下さい
創業が昭和29年ですので、今年で68年を迎えました。元々は先代(社長のお父様)が大工から工務店を始めたのが蒲生工務店のスタートです。
「いよもんカフェ」の「いよもん」とは?
(同社が運営する「いよもんカフェ」)
創業家である中江家の5代前(中江伊右エ門)が「造り酒屋」を営んでおりまして、当時「かねイ」のマークを使っていたそうです。その後「造り酒屋」を閉じた為、農具などにだけこのマークが刻印されていました。そのマークと屋号をこのたびカフェとデイサービス施設にも復活させたのが経緯です。
(「いよもんカフェ」のルーツでもある「中江伊右エ門家」。昭和39年頃)
(創業当時の写真。昭和32年頃)
先代はいわゆる大工の棟梁として旧蒲生郡蒲生町石塔(いしどう)という120件位の集落にて修繕工事や母屋普請(おもやぶしん。母屋を建てる事)を中心に地域の仕事に従事して来ました。その後、現社長が入社し法人化したのが約30年前の事です。その当時は先代と社長、大工さん5~6人という体制だったと記憶しています。
現社長は地域のゼネコンで一般建築も含めた現場監督を経験し、蒲生工務店に入りました。田舎の大工が手掛ける体制から、一般建築の知見もある社長が経営に携わる事で色々な仕事が増えてきました。当時は土壁の田舎普請(田舎風の建築)が多かったのですが、徐々にこの地域でもハウスメーカーの家が建て始めた時期でもありました。社長としては、この地域であっても今までの体制だけではダメだと感じ、そんな中でイノスグループに加盟したと聞きました。
(当時の現場風景①)
(当時の現場風景②)
御社はイノスグループでも最古参の1社。長くお付き合いさせて頂き、ありがとうございます
プレカットがまだ斬新だった時代に、イノスグループ会員としていち早くプレカットを採用し「田舎普請では無い家」、「乾式工法を用いた土壁では無い家」を作りました。
当時の体制としては、最初は営業も設計も社長がしていました。他の社員はと言えば大工と事務社員が一人いた位です。実は私自身も大工として入社しました。と言っても、いきなり大工も出来ないので当時は現場の廃材をトラックに積み込んで、会社の資材置き場で野焼きしてた時代もありましたね(笑)。今から25年位前の話です。
その後、お客様が増える中でこの体制では徐々にやりきれなくなってきました。そんな中、私としても自分が関わる現場の発注を自ら手伝う様になり、棟数が増えると他の現場の発注も任されるように。徐々に現場監督が本業になっていました。このような施工面の経験を元に今の設計リーダーをさせて頂いています。
今の蒲生工務店は地域で定評のある工務店になられたと思いますが、なぜそのような会社になったと思われますか?
そもそも先代から「大工さんとしての腕」、つまり「この大工さんに頼んだらきちんとした建物を建ててくれる」という評判は決して悪くなかったんです。そして、今の蒲生工務店はその延長線上にあるんだと思います。
最初はこの「石塔(いしどう)」という集落もしくはせいぜい「旧蒲生町」での「評判」でしたが、今でいう「口コミ」の効果が徐々に広がっていきました。それに加え、今の社長が田舎普請一本ではない「その時その時のニーズにあった住宅」を手掛けて来た事が挙げられます。その点ではイノスグループへの加入も大きかったですね。
(時代のニーズに合わせた家づくりを開始。イノスグループへの加入もこの頃)
私が入社した時は事務所も現場事務所の様なプレハブの事務所でしたもんね(笑)。それが数年後にはきちんとした2階建ての事務所に変わり、15年前にここ(東近江市市子川原)に移って来るまでになりました。
(当時の蒲生工務店事務所)
(現在の同社事務所。写真はお客様との打合せスペース)
今でもそうですけど、お客様に来て頂いたきっかけを伺うと「紹介」とか、もう少し軽い感じで「口コミ」「知りあいが建てた」とか、その様な声が半数以上はあります。その積み重ねだったのかな、という気がします。
どうやら当時からそのメカニズムは変わっていない様ですが、その核心は何なのでしょうか?
明確な理由は正直私にも分からないのですが、金額にしてもデザインにしてもお客様にとって「程よい」のではないでしょうか?
例えばですが、性能に特化した会社ってありますよね。G1クラスの断熱にするとかね。あるいはデザインをものすごく訴求する会社もありますね。安さをPRする会社もあります。でもお客様としても「性能も大事にしたい」し「デザインも大事にしたい」。かといって「予算は限られているし・・」という状況で、どれも「そこそこでいい」という方も一定数いらっしゃると思うんですよね。もちろん「何か1個とがったものが欲しい」という人も当然いらっしゃるとは思うのですが、そうではない人も一定数いて、その方々に選んで頂けているのかな・・という気がしています。それでいうと弊社が色々な所で表現している「こだわらない事がこだわり」という考えがニーズに合っているのかな?と言う気はしています。
また、これは良くも悪くもですが、お客様に会社の考えを押し付けないことでしょうか。会社としては短所なんでしょうが、契約までの打ち合わせも、その後の打ち合わせも場合によっては何度もプランを描く事もあり、手間暇は掛かっているんですよね。
-それは記事に書かない方が良いですかね?(笑)
いやいやホームページでもちゃんと表現していますし、そこが蒲生工務店の良さなんで書いて下さい(笑)。何かに特化されている住宅会社さんは、逆にお客様からしたら「押し付けられている」とお感じになる方もあるかも知れません。そういう事が嫌な方が蒲生工務店に来てくれるのかも知れませんね。一方、悪く言えば蒲生工務店はどっち付かずなので、もっと専門性を追求したい人はその様な会社に行かれますしね。
家づくりの過程そのものもご紹介が出る秘訣でしょうか?
「要望をしっかり聞いてくれる」「家づくりそのものが良かった」とは言ってもらえているのかな?とは思います。また、引渡後の感謝祭なども多くの方が来て頂けて、関係が良好な証かなと思っています。
(感謝祭の風景。例年多くの来場者でにぎわう)
60代・70代の地元の親御さん世代が蒲生工務店の折込チラシを見て、実家に帰省していた娘さんに薦め、その娘さんが来場するなんて言う事もありますね。住宅業界も若い方をターゲットにどんどん新しい会社さんが増えてきますが、そういう会社と比べるとこの地域でリフォームも含め「長くやっている」という事が一定の安心感を持ってもらえているのかなと。だから親御さんが息子さんや娘さんに推薦というか後押ししてくれているのかな、という気がします。
創業から70年近い時間を経て、蒲生工務店で家を建てたお客様の信頼が広がり、先代から培ってきた地域への満足度がこのような形で活かされているんですね
そうですね。しかし一気に増えたという実感はありません。本当に徐々に、着実に、地に足を付けて、売上ありきではなく進んできたと思っています。蒲生工務店は営業専任もいませんし、技術者だけでお手伝いしています。その点でも一気には増やせませんしね。
イノスグループはどういうところで貢献出来ているのでしょうか?
XCADが一番の根幹と考えています。住友林業の基準できちんと第3者が構造設計をしてくれる事ですね。正直なところ、お客様のみならず我々蒲生工務店自身も安心しています。雨仕舞※など含めたイノスの施工マニュアルも含めて絶対的な信頼を置いていますし、私はその信者です(笑)。蒲生工務店の家づくりを自信をもって薦められるのは、この様な体制があるからと言っても過言ではありません。
(※建築の現場において、建築内部に対して浸水防止の処置を施す工夫や仕組み)
(イノス独自の構造計算システム「XCAD」で信頼性の高い構造躯体を実現します)
(イノスグループ会員工務店が用いる施工マニュアルの一例)
「こだわらないこだわり」を実践する上で、欠かせない要素になっているのですね
イノスの「定期点検制度」や「現場確認」も同様で、大手の住友林業がされている制度を活かせる事が我々にとっても安心ですね。実際、定期点検などは当社でも行って来ましたが、他の建設会社も含め、点検にあたる上での知識や、点検項目・基準があいまいな中で点検している事もあるのではないでしょうか。
最後にお客様に向けてメッセージをお願い出来ますか
家づくり自体がついつい主役になってしまい、「建てることがゴール」の様に思いがちですが、家づくりの主役は建ててから暮らす事になる、皆さん「家族」です。その点では「家」って、言ってしまえばただの「器」ですよね。いわば、お客様の暮らしの「脇役」です。
もちろん、折角の家づくりにあたってそういう思いになるのは理解も出来ます。しかし、それ以上に思う事は、家は建ててしまえばただの器であり、むしろそこで「どう生活して」「どう暮らしていくのか」の方が重要な事に思います。建築会社は「こだわった家を建てましょう」「夢を叶えましょう」と言いますけれど、家自体はあくまで脇役。実際は皆さん家族が主役だという事を伝えたいですね。
-家をモノとして捉えずに、生活のイメージとか暮らし方に重きを置くべきという事でしょうか?
そうですね。家づくりは「商品」や「作品」を作るという事ではないという事ですよね。その点では、蒲生工務店は家づくりを「手伝っている」というスタンスでやっています。
「こだわらない、こだわり」が各邸にいかされている
取材協力:株式会社 蒲生工務店